ミュージックフェア2100回記念までの歴史

ミュージックフェア(フジTV系)は、1964年8月から40年以上続いている長寿番組です。提供はシオノギ製薬でネーミングもシオノギ・ミュージックフェアとなっています。
1964年3月29日に特集番組としてスタートし、同年8月31日よりレギュラー番組となりました。ミュージックフェアは落ち着いた雰囲気、格調高い演出で、毎回いろいろな歌手が共演するなどで人気があります。また、ミュージックフェアは海外のアーティストの出演も多いです。
フジテレビのもう一つの看板音楽番組であった「夜のヒットスタジオ」がカジュアルな音楽番組を目差したのに対し、ミュージックフェアのコンセプトは選曲を日本や海外のスタンダードナンバーを中心とする。ゲストの数を少数にする。アイドル歌手よりもベテラン・実力派を登用する、するということです。つまりミュージックフェア は大人の音楽番組を目差したものであるということです。
ミュージックフェアの現在の司会は恵俊彰と鈴木杏樹で最多出演歌手は男性:谷村新司 女性:森山良子です。
ミュージックフェアの歴代司会者は年代順に越路吹雪、左幸子、長門裕之・南田洋子、星野知子、古手川祐子、鈴木杏樹、恵俊彰です。

ミュージックフェア 放送回数2100回 公開録画

ミュージックフェア21フジテレビ系音楽番組、毎週土曜午後6時放送)が2006年3月25日放送分で2100回を迎えました。この記録は1社提供の音楽番組としては日本です。
ミュージックフェア 放送回数2100回を記念し、大阪フェスティバルホールで16日、3時間にわたる公開録画が行われました。
このような番組の節目ごとに行われる公開収録の多くが大阪(フェスティバルホールなど)が会場となるのは、同地に本社を構えるスポンサー・シオノギ製薬への配慮ではないかと思われます。
出演は豪華な顔ぶれで、倖田來未と大黒摩季、一青窈と松浦亜弥ら。ほかにも森山良子、平原綾香ら12組が出演しました。この豪華なアーティストを間近で観ようと、超満員(2700人)の観客が大阪フェスティバルホールを埋め尽くしました。
ミュージックフェア2100回記念公演のオープニングは12組全員で歌う「ミュージックフェアのテーマ」。その後各アーティスト達の共演で持ち歌を披露した。"森山良子&郷ひろみ&ゴスペラーズ"、"倖田來未&大黒摩季"、"一青窈&松浦亜弥"等の夢の共演が実現し観客を魅了しました。
放送は3月4日から25日まで4週にわたって放送されました。

ミュージックフェア2100回記念  再放送

ミュージックフェア2100回記念の3回目の再放送を観ました
内容は1.ら・ら・ら(大黒摩季・森山良子・綾戸智絵・松浦亜弥・倖田來未・一青 窈・平原綾香)2.道化師のソネット3.全力少年4.YELL〜エール〜(さだまさし・コブクロ・スキマスイッチ)5.誓い(平原綾香)6.ミモザ(ゴスペラーズ)7.君が泣ける場所になる(郷ひろみ)でした。
特に2〜4は3組のコンビネーションが秀逸で本人たちも「この3組でCD出そうか」ということを番組内で話していました。
各出演者のミュージックフェアでのエピソードがおもしろかったです。松浦亜弥さんはてんぷらをソースとマヨネーズで食べるとか、コブクロは番組共演が縁で、渡辺美里さんに曲をかくようになったとか、ゴスペラーズは、共演者の飛行機の到着の遅れのために夜中から早朝まで番組収録がかかったとか、内輪話が楽しかったです。
女性陣全員の「ら・ら・ら」も圧巻でした。司会の恵 俊彰さんの弁「大阪弁の入ったら・ら・らは初めて」

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